| 【 天国からの伝言 】 | |
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| これが天国である!とはっきりわかる夢を見た。 どこか崖の淵に立つ私は、それを眺めていた。すると天国で暮らしている 男性が(顔がはっきり見えない)現われ、青い手袋をした手を、私に差し伸べた。 それが天国を案内してくれる、という振る舞いであることが分かった。言葉は交わされなかった。 そして私は、その青い手を握ったとたん、身体が宙に浮き、勢いよく風になったかのような軽やかさで、 天国を飛び回った。天国の真っ青な空には、美しい島がいくつも浮いていた。 そして島と島との間には、白くホワホワとした可愛らしい雲と、 パステルに輝くオーロラのような光が満ちていた。 「これが天国なんだ〜、なんて美しいんだろう!」 地上では考えられないほどのピースフルな波動に満ちている。 私を案内してくれている人の顔が、青い手を握ったあたりからはっきりと見えだした。 今生では見覚えがない。だけれども、なぜか「夫」であると感じた。 過去世で夫だった人だろうか?私は再会を喜んだ。 私は以前、自分の亡くなった父親を含め、数名の天国へ旅立った人と会話をしたことがある。 死は肉体を脱ぐだけで、生前とまったく変わりなく意識を持ち、魂は生き続けている。 私は幼い頃、ベビーシッターのおばちゃんによく面倒をみてもらっていた。 おばちゃんは父の会社(鉄鋼業)の社員で、会社に奉られた神様のお社を手入れする担当でもあった。 毎月一日と十五日には、神棚にお供えする野菜やお榊などを買うために、 私を自転車の後ろに乗せ、風を切り、ぶんぶんペダルを踏みしめながら、市場へと走った。 おばちゃんには家族がいなかった。生涯独りであった。定年退職した後、 おばちゃんは私が住むロサンゼルスへ我が子達を見に遊びに来てくれた。 遊びに来ながらも、おばちゃんは長年の習慣で、せっせと私のお手伝いをしてくれた。 まだまだ元気なおばちゃん。けれど退職後、血圧が高くなり、常にお薬を飲んでいたようだ。 翌年、育児に疲れ果てた私は、甘えておばちゃんに電話して、また遊びに来てほしいと、哀願した。 だけれどもおばちゃんは、「もう体力に自信ないのよ」といって断った。 そして数ヵ月後、私はおばちゃんの死を電話で知らされた。 夏の湯上り、心筋梗塞で、独りアパートの部屋で亡くなっていたそうだ。 私は、おばちゃんの年も、体調も考えず、甘えてしまった自分を悔やんだ。 死の知らせを受けたその晩、私はいつものようにベッドの上で瞑想をして、 おばちゃんに語りかけた。するとすぐに私のビジョンの中におばちゃんは笑顔で現れた。 「おばちゃん、ごめんね。甘えてばかりで、我がまま言ってごめんね」 「うんん、気にしないでいいよ。まあちゃんが暮らしているロサンゼルスへ行けて嬉しかったよ」 おばちゃんは退職後、それまでの貯金を大胆に使いながら、海外旅行を楽しんでいた。 おばちゃんは写真のセンスがあった。カメラのアングルとシャッターを押すタイミングがなかなかなのだ。 そんなおばちゃんは、今まで行った様々な国の写真を私に広げて見せてくれたこともあった。 そんなことを懐かしみながら私はおばちゃんにこう質問した。 「おばちゃん、もっともっと行きたい国があったんじゃないの?次はどこへ行くつもりだったの?」 「ううん、こっち(天国)のほうがずっと美しいよ!そちら(地上)とは比べものにならないほど。 もうそっちはこりごりだわ」そう言いながらおばちゃんは愉快に笑った。 おばちゃんは人一倍苦労人だった。誰からも褒められることなく、 でも社員のために一生懸命に働き、会社に尽くし、私の面倒もみてくれた。 おばちゃんは、「じゃあね」と言って背を向け、オーロラに輝く世界へと消えていった。 天国は本当に美しい世界なのかもしれない。あちらから見ればこちらは修行の場。 私たち人間は、最後の最後に肉体に執着をして、死を恐れる。 けれど、過去世を思い出しても、私たちは何度も何度も生まれ又死んできているのだ。 今生でのお別れは、それは辛いものだけれど、天国で再会もできるし、再び一緒に生きることだってある。 死を受け入れ、肉体への執着から解き放たれると、恐れや不安、悲しみからも開放される。 豊かに微笑み、豊かに肉体を脱ぐことだって可能なはずだ。 私はいずれ迎える最期、すべてに「ありがとう」そして「愛しているよ」と言って死を迎えたいと思っている。 |
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