| May.26. 〜 子供のすることはさりげなくて 〜 |
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散歩の日差しに少し頬をピンクに染めた息子が、
くつを脱ぐなり私の部屋へ直行した。
どこで拾ってきたのか?
頬色と同じピンクのバラの花びらを
ぽいっとクリシュナ神(インドの創造の神)像
の葉っぱの上に置いくと、
そそくさと部屋を出て行ってしまった。
花びらは少しでも力強く握り締めれば
くしゃっと折れ目が付いて変色するものだけれど、
きっと丁寧に、そおっと小さな手のかごの中に
入れて持って帰ってきたに違いない。
かなわない、このさりげなさ。
たとえば私が花を捧げる時、
捧げますとばかりに捧げる。
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数日前にも、同じことがあった。学校の畑仕事の日だ(畑仕事も授業)。
畑で(?)拾った木の実を、ポケットに三つ忍ばせて、帰宅後、
くつを脱ぐなり私の部屋に直行。そして、なにやらぶつぶつと独り言を言っている。
「神さま、チェリー好き?三つあるよ。食べてね。すっぱいかな?甘いかな?」
子供にとって、神さまはそばにいる友達なのかもしれない。
かないっこない。
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May.8. 〜 ぼくがぼくであるために 〜
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ハワイに住んでいた頃、よく海へ行った。
行った、と言うほどのことでもなく、
どこにいたってすぐに海にぶちあたった。
小さな小さな島だから。
砂浜は、子供にとって大きな砂場だった。
流木を拾っては、黙々と砂のキャンパスの上に、
自分の世界を描いて見せた。
意味なんてない。ただ感じるがままに
そこに描いて見せた。 |
けれど学校という社会に入ってしまえば、
それが評価されてしまう。個性は皆違って、
生まれてきた役割も皆違うはずなのに、
はみ出た個性は、尊厳を冒される。
私はあなたがあなたであることを、
永遠に愛し続けます。だから・・・、
安心して、大きく成長していってください。 |
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| April.7. 〜 私は在る 〜 |
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アルジュナよ、
私は万物のハートに宿る真我である。
私は万物の原初であり、
中間であり、
終末である。
『バカヴァッド・ギーター』
第10章20節 |
私は孤独を愛している。
孤独がなければ、至福を感じることはできないから。
瞑想だけが、私から私を解放しえる。
だから、瞑想を授けてくださった神の恩寵に私は感謝している。
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| March.25. 〜 Clear Love 〜 |
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行為しないで生きられる人は誰もいない。
行為が純粋領域から来るものならば、
神様は無限のサポートをくださるはず。
だからこそ常に自分の内側をチェックして
いなくちゃいけないね。
大切なことは、″目的意識″だから。
強い風が吹き荒れ、天から降り注ぐ雨は
穢れを削ぎ落としてくれるかのよう…。
神様は益々純粋でクリアーな状態へと
導いてくださっている。
新たなる時代、これからの時代、
純粋領域と行為の目的に、
寸分のずれすら見落とすわけには
いかなくなるから・・・。
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| March.12. 〜 人生NO計画 〜 |
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昨日家族で息子のキックスクーターを買いに行き、
その帰り道偶然道に迷った住宅街の一角に
なっつかしいほどのアメリカンカフェをみつけました。 Bubble Over
店の中はアメリカそのもの!
メニューも英語で書かれていて、
テイクアウトで買ったケーキもアメリカ人テイスト!
ここまで徹底しているのはすごい!の一言。
隣接したアメリカンカジュアルウェアーのお店も、
かっちょいいオリジナルのデニムやくつ、
T−シャツが売っていました。 |
キャホキャホ喜んでいると、なにやらパツパツ屋根を打つ音が。
外へ出てみると、なんと珍しく雹(ヒョウ)が降っていました。ロサンゼルスでは時々降ってきたような記憶。
お店に出会った偶然+雹の偶然=アメリカンな神様のいたずら
のような気がして嬉しくなってしまいました。「うれしいデステニー」(←おでん君の神様風に)
もし道に迷わなかったら・・・。もしカーナビゲーションに素直に従ってしまっていたら・・・。
もし「時間があるときは、知らない道を開拓しようよ」という私の意見が却下されていたら・・・。
こんなサプライズはなかったのです。
人生NO計画は素晴らしい!
そして道中、くよくよかりかりせず、楽しむ事を忘れなかったら、
こうして神様がいたずら心でもてなしてくれるはず☆☆☆
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| March.6.〜風が吹いた〜 |
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神様が ふーっと 息を吐き出した
古く濁ったかけらを 吐き出した
自然の母は映し鏡 横殴りの雨と風
もう必要なくなったから
消えて無くなる時がきたから
すべてを綺麗に流してくれた
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真我の回答はお腹にある。回答を頭から引き出そうとしても、
ざわついた個我の嵐に巻き込まれ、矛盾を抱えたまま幻想を彷徨う。
「明け渡し」、それを望むその日まで・・・。
人の真の幸せは真我にあって、それは追うものではなく、
計算されるものでも、計画されるものでも、新たにとりこまなければならない事もない。
そこに在る。永遠に在る。無限に在る。すべて、すでに、そこに在る。
留まる。ただそれだけでいい。
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| Febluary.16. 〜 鎮魂 〜 |
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(←実は踊るシヴァ神の写真を載せようと思ったら、
サーバーとの接続トラブルが続き、
載せられなかったのです。
以前インドへ行ったときも、ハリドワールで
シヴァ神の像をカメラにおさめようとした時、
カメラが突然ブッ壊れるアクシデントが起こりました。
おそるべしシヴァ神様!
ということで写真を変更して、
鳥羽で焼き牡蠣を食した時の写真です) |
今日はインドの神、シヴァ神の御祭り、シヴァラトリーです。
ここ数日の風の強さは、シヴァ神が私たちの邪気や悲しみを
一気に吹き飛ばしてくださっているような清々しさを感じます。
昨日スーパーの屋上で、思わず両手を広げて、吹き飛ばされそうなほど強い風を
身体いっぱいに受けました。風が私の身体をすり抜け、
まるで細胞一つ一つが清まっていくようでした。
ロスやハワイに住んでいた頃も、シヴァラトリーの日には
必ず毎年暴風がおきました。
話は飛びますが・・・、
この連休、私はお伊勢参りをしてきました。
建国記念日に導かれたのも、けっして偶然ではなかったようです。
神恩感謝と、日本が美しく生まれ変わる祈願をしてまいりました。
私たちは、あるがままを生きながら、互いの魂の成長のために生きています。
そこには計り知れない神様の御心が働いているものですが、
与えられた経験が、学びと成長のためにあると受け止められず、
何事にも謙虚に愛と感謝に変えられない人の心は、
様々な怨み嫉み憎しみといった感情を抱いてしまうものです。
そういったエネルギーが滞ってしまう限り、真の幸せは訪れません。
それは肉体を持つ御霊も肉体を脱いだ御霊も同じ事です。
魂の本質は皆、神様です。附着した穢れを削ぎ落とし、
森羅万象が本来の輝きを取り戻しますように。
御身の手となり足となり働けますように・・・。合掌
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| February.6. 〜 brand-new 〜 |
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節分が明けて、いよいよ新しい年の始まりです。
今年は気学で言いますと、丁亥二黒土星中宮年
だそうです。旧体制から新体制へと交替する年。
一昨日の夜の瞑想では、まさにそれを体験しました。
いままで当たり前だった価値観、世の中の流れ、
そういった古きものが陰になって見えたのです。
さ〜っと退いたというか・・・。
その代わりに、逆に今まで封印されていた光(神)の世界が
表舞台に出てきている・・・。
御来光を仰ぐような面持ちで、私はそれを眺めました。
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これはね、言葉で語る以上に、すごいことなんですよね。
ちょっと前にはありえなかったことが、今起こっている。
本当に大きな危険(魂にとっての危険とは神から離れること)を
回避する為の調整が、これから行われるのかもしれない。
写真の水晶のように、男性と女性が向かい合って、新しいものを創る年です。
あなたは、あなたにとって、家族にとって、世界にとって、どのような善きものを創りますか?
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| January.27. 〜 Birthday Present 〜 |
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昨日、息子が学校から帰ってくるなりこう言った。
「マミー!バースデープレゼントに宝石買ってあげるよ!」
「ほ、ほ、宝石?」(ってダイヤとかエメラルドとか…?)
「水晶だよ。今から○○○へ行こう!」(近所の大型マーケット)
そして息子は、ぐずぐずしている私の背を押し、お年玉を握り締めお店へと直行。
お店に着くと。
「自分で選んで。・・・ただし1500円まで」
「は、は、はい」
そうは言っても、息子に1500円も使わせるのはなんだか申し訳ない。
しかも貴重なお年玉で。だから500円の虹のいっぱい入った水晶を
買ってももらうことにした。
「ありがとう、大切にするよ!」
「マミーのバースデーに自分のお金でプレゼントするの生まれて初めてだね」
「そーだねー。嬉しいよ、ありがとう」
昔、息子を妊娠した時、親友のお母様にこう言われた。
「子供というのはね、4歳までに親孝行を終えるのよ。
それほど喜びを与えてくれる存在なの」
私は息子から、もう十分すぎるほどのギフトをいただいてきているというのに…。
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母として計り知れないこの喜びを、記念にカメラにおさめることにした。
私の目からは、100万ドルの輝きを放つのこの水晶を、
どのように撮ればいいのかな?と思いながらシャッターを押した。
すると!まるで私の目から見える輝きそのものが写った。
偶然とは恐ろしい。実際には発光していないんだよ。
でも虹はいっぱい入ってるけどね。
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しかも27日に↑これを書いてサーバーに送ろうとしたら、
送信エラーが続き、真っ白になってしまった。すごいエネルギー!
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| January.25. 〜 すべてにありがとう 〜 |
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身近にいる人が、永久の世界へと旅立たれる時、
それをそばで見守り体験する者のカルマの穢れ
をも一緒に浄化してくださる。
私はそれを様々な体験を通して
気づかせていただけました。
そのような視点で世間を見ますと、
新聞を賑わす事件や病気も、
多くの人のカルマをも浄化してくれているのだと感じるのです。
すべては完璧に行われている。
それに対し私たちにできることは、手をあわせ感謝し、
謙虚な姿勢ですべてを愛に変換していくこと。
それが悲しい出来事(メッセージ)に対する、
最大の供養なのかもしれない。
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| January.19. 〜 時空 〜 |
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冬の陽だまりが好き。
幼い頃、日のあたる廊下に母がよく布団を並べて
干していた。干した布団の上で、私はぬくぬくと空想
したものだ。空想はもっぱら空の上でのこと。
雲の公園で遊び、雲のお菓子を食べた。
新しい年を迎え、初めての日曜日の朝、
私はあの頃の母と同じように、陽だまりに布団を並べた。
そして私は、干したお布団の上で、空想ではなく
無意識のうちに人生の回想をしていた。 |
東京で忙しく生活していた頃の自分。ハワイの家を買ってバケーションを楽しんでいた頃の気ままな自分。
結婚してロサンゼルスへ移住し、子どもとの新しい生活を始めた自分。
ロサンゼルスの思い出深い街を頭の中で散歩する。
そしてハワイへ引っ越してからの、自然に囲まれた生活。
海に入り、山を歩き、風の音を聞きながら昼寝したリビング。
日本の神様に導かれ、美しい日本の波動を感じてから帰国し、新しい日本での生活が始まった。
どれもこれも、どこの国もどの場所も、空想の中では鮮明に“今”行われているようだ。
時空を超えて、どれも現実であり、でも、どれもリアリティーを感じさせてはくれない。
魂は神様が用意してくださった船に乗り、大いなる源へと運ばれている。
その道中、景色は移り変わる。けれど、それは景色であって、魂の本質ではない。
景色とは肉体と心が体験するイリュージョン。
魂は輪廻の中で景色を味わいながら運河を運ばれてゆく。
そして、大いなる源に到達した時、輪廻から開放されるのだろう。
空想も回想も同じようなものかもしれない。
未来と過去を眺めながら、私は夢を見ているのだから。
景色は神の愛でできている。映写機という一元の光が神だとすれば、カルマはフィルムで景色がスクリーン。
現象から離れた静寂の真我こそが、魂のよりどころ源なのだ。
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2007.January.9. 〜 大いなる母に抱かれて 〜
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1年4ヶ月ぶりに、魂の故郷、ハワイへ行ってきた。
上の写真は、ワイキキビーチから眺める水平線へと落ちていく夕日。
日が沈んでまもなく、東の空からは大きな月が昇ってきた。
そして海を眺めながら夕食をしていると、同じ水平線にくっきりと
月光がつくった虹があらわれた。生まれてはじめて見る月の虹。
そして3日は満月だった。ハワイは今雨季だ。特にコオラウ山脈の
北東側はよく雨が降る。だからお月見もあまり期待しないでいたのだけれど、
今回の旅のメインイベントでもある。一か八か東のカイルアへと車を走らせた。
そして日も沈み、分厚い雲を強風があおる。ハワイの神様は、私の願いをきいてくださった。
カイルアビーチの水平線に、まるで線香花火を逆さまにした様に、
黄色く真ん丸い満月が、ゆっくり昇ってきた。
暗くて写真にはおさめられなかったけど、満月を雲の天使ちゃんが
抱っこしているようなポーズであらわれた。見事なムーンライズを眺めながら、
隣のラニカイビーチへと移動し、強い風の中、月の波動を身体いっぱいに吸収した。
今回はおまけで、ノースショワーのビッグウェーブの動画を載せます。
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