June.27. 〜 TRUST 〜




真から救われたい、と願うということは覚悟がいる。

無執着の覚悟
期待しない覚悟
望まない覚悟
掴まない覚悟

あるがままで在る覚悟
御心に従う覚悟
命を捧げる覚悟




June.23. 〜 I am that I am 



私は肉体ではない。
私は心ではない。

それらが自分であると思っている限り、
迷妄から解き放たれることはない。

内なる静寂。
そこに本質は在る。

妻であるとか、母であるとか、何者かであるとか・・・、
人生の移りゆく景色と役柄に心奪われ、
それらが自分であると思い囚われているうちは、
真の静寂を得られず、常に新たな波が押し寄せ、
翻弄され続けるだろう。

我慾の申すままに、景色の中へと埋没してはならない。
それらは尽きることがないから。
尽きることのないものを、自由意志で断ち切って、
全身全霊、命を神に捧げる。

いつもいつも本質を思い出すこと。
何をしていても、どこにいても、誰と会っていても、
意識を神我に固定しながら、行為のすべてを神に捧げるものとする。
欲するなかれ。捧げる事のみ救われる。




June.8. 〜 夏越の神事 〜

先週のウィークエンド
奈良県にあります
三輪山・大神神社
を参拝してきました。
ここはお山が御神体。
昨年5月に訪れて以来
二度目です。
なぜ又訪れたのか?
それはとても不思議な
ご縁とご加護を日々
感じるからです。
大神神社の中に、
狭井神社という
病気平癒で有名な
神社もあります。
御祈祷していただき、
とても清々かったです。
息子たちは新幹線に
乗ることも、駅弁を
食べることも、旅館に
泊まることも初めての
経験でした。
大神神社近くの
大正楼さんに
お世話になりました。
大神神社では、私は
いつも「国家安泰」を
御祈祷していただきます。

日本が平和でありますように。
世界が平和でありますように。



June.6. 〜スポーツフェスティバル〜



昨日は、長男にとって初めての日本の運動会でした。
アメリカでは運動会はありませんでしたから、
徒競走、騎馬戦、○○音頭、ソーラン節、すべてが初めて!
私も母親として運動会というものを見たのは初めてです。
ようやく慣れてきた日本の小学校で、息子が本当に楽しんでいるのか?
母としては気になるところ。しかし思いのほか、「楽しかった!」
と言ってくれた時は、ホッ!
写真の旗は、息子がデザインしたクラスの応援の旗!
なんだか大日本帝国って感じでしょ〜。

半年前までハワイでフラダンスを踊っていた子が、
いまは日本でソーラン節。しかし無心に踊る様は、
やはり日本人としての血が騒ぐのか?さまになっていました!



May.31. 〜 静寂をとりもどせ 〜




個人的な感情
個人的な欲求
個人的な心

個としての自分がどんどん消滅させていくと、
たとえ定められた星の申す運命を歩まされようとも軽やかでいられる。

神へわが身を捧げたならば、
真の自由が魂の奥底に無限に広がる。

個人の思いが消えれば、本質に触れられるから・・・。




May.30. 〜
 SENCE 〜


この1週間、地球は、宇宙は、大きく大きくシフトしていた。
この感覚をどう言葉にすればいいのか分からないが、ただそう感じるのだ。
もしくは、細心の注意をもって起きている出来事を洞察した時、
誰でも見えてくるものかもしれない。
神からのメッセージに目を向けるか否か。個人の自由意志。
ただそれだけのようにも思う。

Love&Peace



May.19. 〜 あるがままに 〜




人は皆、時々立ち止まり思い悩む。
いま自分がしている仕事はこれでいいのだろうか?と。
しかし私たちは、大いなる力の意志に逆らうことはできない。
放棄したくとも続けたくとも、すべては大いなる意志によって運ばれている。
委ね明け渡し、天性のおもむくままに従うことなのではないだろうか。

先日、AC公共広告機構の対癌協会のCM撮影があった。
万全のコンディションでのぞむつもりだったが、
今の私は、不安定な梅雨時の空と同じである。予測不可能。
撮影当日風邪をひいてしまい、最悪のコンディションとなってしまった。

しかし私はこの経験から、神様が私に今何を教えようとしているのか、深く洞察していった。
撮影当日朝が早かったので、前日から近場のホテルにチェックイン。
ホテルではずっと呼吸法を行い、抗菌作用の強いアロマを焚いて、
ハーブティーを調合して飲んで、瞑想をしていた。

神を瞑想すると自我が消えていく。
体調や思考に振り回されることがなくなり、至福の中へ溶け込む。

撮影の時も、私はその意識を神に固定したままカメラの前に立った。
あるがままで立った。
風邪であることに思い悩むことも、無理に綺麗な顔して映ろうと努力しなくともいいのだ。
大いなるものが行っている。私(自我)が行っているのではないのだ。

その時明確に感じ、悟った。
私を動かしているのは私ではない、と。




May.15. 〜 Mother Earth



「光ちゃん夕べ面白い夢見たよ!!」
と早朝長男が興奮気味に目を輝かせた。
「ふ〜んどんな夢?」
相変わらず寝ぼすけの私はてきと〜に答える。
「むか〜し、地球に隕石がぶつかって、バーンってすごいエネルギーで、
それがね、人間だったんだ!」
「・・・・・・はっ?」
「地球の70%は水で、人間も同じ」
「・・・・・・(よく知ってるな〜)」
「人間は癌になる。地球は人間が癌」
「・・・・・・(深い)」
「地球と人間はおんなじ!」

私も同じことを考えることがある。地球は私であると。

人の体は神秘に包まれている。
これだけ細胞の研究は進んでいるにもかかわらず、
「お前は手になれ、足になれ、内臓を作れ」といった
細胞の最高指令はどこが出しているのか?まだ解明されていないという。
人は心臓が動いて生きているけれど、ではその心臓を
動かしている主が何なのか?はまだ科学でも解き明かされていない。
同様に心臓を止めるのは誰なのか?

人の体は老化していく。けれど実際のところ、人は肉体が死を迎える
その寸前まで、細胞はなんら変わりなく機能しているという。
細胞自体は老化していないのだそうだ。

さ〜て、瞑想するかな!



May.10. 
〜 Who am I ? 〜



私にとって瞑想とは神に酔いしれる行為。
神とは本来の姿。大いなる自己。神我。
自己探求は、その神我を目的とするもの。

神様を理屈で考えても答えは得られない。
神様とは体験するものだから・・・。

神我を体験する為には、全意識を神に集中させること。
それは愛することに似ている。
神を愛すこと。熱烈に愛すこと。
もし愛し方が分からなければ、
「愛し方が分からない」と泣きながら愛すこと・・・。




May.3. 〜 Don't grasp 〜



追うなかれ、掴むなかれ・・・。
エゴによって得たものには、かならず見返りがつく。

神我こそが本質。
外にあるものではなく、既にあなたの中に“在る”。
それを知ること。

核なる神を感じる為には、
捨てなければならないものがたくさんあるはず。



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